約 1,278,648 件
https://w.atwiki.jp/binary_domain/pages/27.html
肩書き 名前 参加作品 備考 総合プロデューサー 名越稔洋 龍が如くシリーズ・スパイクアウト (Wiki)http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%B6%8A%E7%A8%94%E6%B4%8B ディレクター 佐藤大輔 龍が如くシリーズ シナリオ 古田剛志 龍が如く1脚本補佐・龍OTEシナリオ演出・428演出・金八一部シナリオ シナリオ アンソニー・ジョンストン Dead Space1と外伝(Wii iOS)
https://w.atwiki.jp/61122/pages/184.html
遺跡ボス攻略 ~ポルド遺跡~ ~カンビ遺跡~ ~フルビ遺跡~ ~ピアトロ遺跡~ ~ジオ遺跡~ ~リンジャーニ遺跡 書物室
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/186.html
雑学:近代有力め新聞社10社、181 東京日日/大阪毎日。2月11日。 元別新聞社の合併、東西合わせて朝日新聞と並ぶ規模らしく一時は百万部越え争いもしていたとか、大阪由来の大阪毎日が本社ではあるものの、東京日日は日刊新聞の2番目として(1番目の横浜毎日は買収、3番目が英国人のブラックさん)由緒正しく元の新聞社の名前が残っていて、東西で記事が全く違っていたようです、朝日新聞も似たようなものだったぽいけど。 新聞連載なんかで東西共通のものもあるみたいなんだけどねー(詳しくない)。 東京日日が明治5年、大阪毎日がもともと日本立憲政党新聞というど真ん中の名前の政党新聞で明治21年に改名し、明治44年に東京日日と合併。 この立憲改進党というのは自由民権系の大隈さんの政党。 てか、改名したとはいえ、この新聞が東京日日を合併したことに違和感なかったのかしら? 特にそこが語られてる新聞の本がないので…政治の本読まないと駄目かなこれ。 東京日日は政府主導の時期の新聞であり、福地源一郎という主幹(立場変わっても中心人物ってニュアンス、新聞はこの辺わかりにくい)は明治の元勲とも関係があり、御用新聞とも呼ばれてるんですよね。 まあ福地自身が筆禍(政府弾圧、なぜだ貴様)に遭ってたり、新聞社の出資者たちが江戸の庶民の風流人らだったりするので、そこまで違和感はなかったのかしら…。 そういや大阪毎日の前身の明治15年創刊も典型的な「明治14年のちの政党運動目的」の時期ですね、この頃の新聞は庶民ターゲットのはずなので、わりと最初から娯楽も組み込まれてたんじゃないかな。 関西の商人たちが顧客層だった朝日新聞とは似てるけどちょっと違う感じだろうなー、微妙に本がないです、今度社史読むかと迷うくらいに本が…ないです。 朝日新聞。2月12日。 今資料の扱いがどうなってるのかちょっとわからないんですが、どうもこの新聞社、明治12年に立ち上げたあと、しばらくのちに経営が傾きまして、政府の支援の申し出があり、その時点でどうも「政府見解に対し、中立であって欲しい」というような約束が行われたらしいです。 まあなんだ、御用新聞って呼ばれると部数ががた減りするもんだしなぁ…(筆禍を受けると非常に人気が上がる)。 当時バレてるとそこそこダメージがあったであろうものの、後世見るとそこまで後ろ暗い内容でもないんですが、朝日からすると微妙なものなのか曖昧な態度っぽいよな。 大阪毎日と共に関西由来で東京進出組、買収したのは『めさまし新聞』、星亨の自由党(自由民権の板垣退助の政党)の政党新聞でちょくちょく発行停止を食らうので名前がよく変わっていたとか、ここも微妙なカップリングだな…。 星亨が暗殺されてしまったのでそこの問題は少なくなってるのかもしれんけども。 商人を読者層としていたため、わりと初期から娯楽作品に寛容で、「中新聞」と呼ばれていることもあるものの、関東進出の際に他社連合を組まれて営業妨害をされる程度に売れたためか以降このスタイルが当たり前になってしまい、呼称としては消滅。 東西両社がぶつかってたのは夏目漱石絡みの文章で地味に読めたりするんだけど(スカウトした人が関西、担当したのが関東)、まあなんだ、仕方ない、かな。 新聞の歴史が「=朝日新聞の歴史になってる」って嘆きがあり、毎日は…? と思ったものの、新聞各社の記者の本を見た時に納得しました。 ほどほどに変わり者が受け入れられ資金繰りが清浄、毎日は風通しが、あまり…。 時事新報。2月13日。 福沢諭吉さんにまず政府からの新聞社の設立要請が来まして、ところがその中心人物だった大隈さん(またおまいか)が「明治14年政変」って時に失脚してしまったものの、建物とか記者とかがすでに用意されていたので貰い受け。 独立独歩でやるぜ! と始めたらしいんだけど、大隈さんが関わっていてもそんなに変わらなかった気がする、政府の見る目は違ってたとは思うけども。 そもそも明治初期の頃は啓蒙のため、新聞社は結構作られてるんだよね。 ただ、政府主導で作るとすっげぇ詰まらんので受け入れられないんですよ、なんと申し上げるか明治政府にインテリがいるわけがないじゃん伊藤博文が最高の教育受けてるとか(農民出の苦学生)、単純に内容が面白くなかったんだろうなとしか、思えず…。 (人気がなにしろないので娯楽新聞なんていう発想もまだない。) で、東京日日の福地源一郎とか福沢諭吉なんだろうね、どっちもあんまり政府のコントロールの下にいてくれなさそうだけど、明確な政治指針があるわけでもないしな。 これは朝日新聞なんかも近い状況にありそうですね、中立は期待出来そう。 で、明治15年です、あー、なんとなくわかった。 そして新聞各社は政党の方針により右往左往してたらしいんですが、それ系の新聞はあんまり残らなかったのでここの項目にほとんどおらず(東京日日くらい)、まあ、そこで中立として名前を上げた時事新報のところで触れるのが無難かなー。 東京日日は御用新聞って呼ばれているんだけど、あそこも新聞社の意思がきっちりありそうなんだよね、今こうしてまとめて見ると…。 文語体が多い時代になんかさっぱりした文章も特徴、あれ呼び名あるのかしら? 国民新聞。2月14日。 明治23年というとあれか、選挙が制限選挙って決まったあとか(国会開設が決まったのが明治14年、そこから10年後、選挙の方針が決まったのが明治22年)、にゃ、直接関係あるのかどうかはわからないんですが、それ以前までは泥沼の政党主張に各新聞社が振り回されていたぽいからなぁ。 お互いに新聞を使って主張をするので止めれって言われてたなぁそういや。 徳富蘇峰さんが中心で、まあなんというか、超絶人気の論客ですね。 この人の場合、政府寄りになってもそんなに人気落ちてないっぽいんだよな、まあなんだ、政府寄りになっても面白かったんだろうな…。だって初期の新聞、布陣を考えるとどう考えても内容に期待が出来ないんだもん。 弟の蘆花さんとの長い諍いもわりとこの辺の身の置き場が原因らしい。 そういや、人気が陰って来てた時期に弟さんに小説書かせてたら暴露問題が起こるようなモデル小説だったってのが「不如帰」だっけねぇ…。 連載中断し、特に人気もなかったはずが単行本になったのちに大ヒットをかまし、家庭小説というジャンルも生んだとのことなんですが、大概複雑な。 ただ、この国民新聞にしろ『国民之友』にしろ(あとの時代で言う総合雑誌、小説も載ってるし政治論文も載ってる)、まともな記事揃えて、しっかり方針立てて作ってるなー、てのは感じるので、そこらの新聞ほどには浮き沈みしなかったかもな。 当時は新聞社単位で認識するより論客にファンが付いてたりするからな。 少なくとも新聞という単位で認識されてる新聞社ってのはちょっと朝日以降じゃないのかなぁ(時事新報は別格として)、もうちょっとなんかで情報仕入れてこよ。 読売新聞。2月15日。 えっとだから、明治7年、時期からして(ブラックさんのすっぱ抜き事件のち、新聞の庶民人気が上がり)、初期の小新聞ですね。 あれねー、大新聞の政治記事を「ひらがなのみ」で載せてるみたいな新聞もあるにはあったらしいんですよ、あとあれ、浮世絵新聞てのもあったけど。 この読売新聞が「漢字表記にふりがな」を発案しまして、基本スタイルはそれで落ち着いたようです、なんかねー、ひらがなオンリー目が泳ぐ、読めない。 あ、識字率そのものはそんなに高いわけではないものの(準識字率は高い)、政府のお触れなどを理解する関係上、文章の理解力は高いんだってさ江戸時代の庶民。どんな田舎であっても1%程度は絶対に完全識字者がいたらしい、伝令に必要だったのね。 基本的に新聞の歴史においては小新聞の地位が仕方ないながら低く(だって当人の家の前で読み上げるゴシップ記事とかあるしさぁ!!)、あまり顧みられていることがないものの、読売新聞だけは別格として触れられていたりもしますね。 明治40年辺りには尾崎紅葉率いる硯友社と結びついて『金色夜叉』などの大ヒットを生み出していたりもしますね、休載すると文句が酷いわりに部数に貢献してないって切っちゃうんですけどね、したら部数ガタ減りしたって言われてたな。 あとあれ、正宗白鳥がいて、夏目漱石を採ろうとして「なんだよその提示価格www」って朝日新聞のご本で心配されていたりしましたね、そうねー、前職の4分の1で毎日出社ってさすがになんか…。 時期によっては都新聞と競っていたりして、五大新聞なんかと比べると確かに劣るものの、極端な経営不振も聞かないし、文芸新聞かって言われたら微妙だけど。 萬朝報。2月16日。 そもそもこの萬朝報、大衆新聞って呼ばれてることがあるんですが、あんまり聞かない呼び方で、翌年に立ち上がった『二六新報』があと呼ばれてることがあるくらいかな、最初に見た時は「小新聞」のことだと思っちゃったんですよね、言い換えかなって。 ところがどうもこの二紙、政治を避ける小新聞と違いどちらかというと政治啓蒙意思が強い。 源泉となっているのは板垣退助(自由民権の最初の一人だね)がフランスに外遊していた時期に「庶民の啓もうには小説読ませるといいよ」という助言を貰ったということに端を発するようなんですが、あ、助言者はヴィクトル・ユゴーだって。 ちょうどこの萬朝報立ち上げた黒岩涙香さんの探偵小説も直接その系譜なのかどうかはまだちょっと調べられてないんだけどねー、政治目的っぽいことは言ってはいるんだよな、ところどころで。 あ、ユゴーさんの趣旨ではどうも最近のだったらなんでもいいよ、みたいな感じでした、結構娯楽小説とかも抱えて帰ったぽいよ、板垣さん。 たまに政治小説を読ませて知識を付けさせる! みたいな解釈が語られてるものの、政治小説って代表作が叙事詩寄りの架空歴史で、これはまだわかるものの、あとはほとんどメロドラマなので…勉強に使うにはちょっと…(政治小説って呼び方があかんのかしら)。 涙香さんの翻案の探偵小説もほとんど冒険ものだったぽくてね、上の趣旨には合ってるんだけど、辞めた都新聞とは方針合わなかったのかもなぁ、あそこ芸能寄りだし。 ただ、現代人にはいまいち「上流階級のゴシップ」が啓蒙って言われてもわかんないんだよな、一番有名な藩主の毒殺事件疑い記事も検死の結果自然死ってなって証言者が逃げちゃったしね、内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦を揃えてたのは本気だとは思うけど…。 二六新報。2月17日。 個人的にこの二六新報と『萬朝報』は二卵性双生児みたいに思ってるんですけども、萬朝報が明治25年で二六新報が明治26年(この年号が新聞名なんだろうね)、明治30年代に日本一を競い、新聞が終わったのも戦時中のどさくさに紛れてっぽいしなぁ。 なんかぐるぐる蛇行してるから追えなかったけど二六新報の子孫…。 あまり詳しくないWiki辞書がさらに「政府弾圧を受けるような姿勢だったために大衆紙と呼ばれ」って書いてあったのでいらっとしまして、一回それを吐き出していたら内容が妙なことになって一旦断念したんですが。 大衆新聞って呼ばれたのは双子の萬朝報と同じくゴシップと娯楽じゃないかなー、前に斎藤緑雨(仮名垣魯文の弟子)絡みで懸賞小説やってたらしいことを読みましたしね、やーあれ、当時流行していた一葉さんもどきがやったら多いって比較的出来のいい作品を叱り付けたらば一葉さんと同じところに属していた兄弟弟子だったという案件が紹介されており、その後逃げていたようです…謝ったほうが…。 (一葉さんと同じく先人の表現を借りるのが自然なことだったぽい、知らなかったすみませんでしたって謝ればいいとは思うんだけど、先に変な決め付けしてて…。) なんでも日本で最初の懸賞小説らしいんですが、他の分布を思い出すと多分問題ないんじゃないかな、結構どわっと増えてるよね、懸賞系の雑誌。 あと、そもそもある程度の政治志向はあったのは筆禍(政府弾圧)に遭ってることでも明確だけど社長が大隈さんとも関係ある政治家ってのもあるしね、あ、新聞を立ち上げてのちにラブコールをした結果のようです。 大隈さん目当ての新聞立ち上げではないよね…(前例を思い返すと些か…)。 日本(新聞)。2月18日。 それほど知名度は高くはないとは思うんですが、ここの社長の陸羯南が正岡子規さんのご近所だっけ? まあまあなんかもともと親しかったので、弟子も引き連れて参加していたようです、あと、「最後の大新聞」と呼ばれているのが特徴かな、 明治22年に創刊、とはいえ明治21年の『東京電報』からあんまり変わってないのかな、正式には『日本』であって新聞とは後ろに付かないようなんですが、なにぶん名前がわかりにくいせいか特に断りもなくよくくっ付いていたりします。 まあ『日本』ってあるのは関係紙がほとんどぽいけど…(抑留者新聞とは混同しないやろ、あと、『日本及日本人』って雑誌があるけど日本の部分がこの新聞を指します)。 なんかねー、だいぶ売れなかったみたいです。 小説を載せていないのはまあいいんだけど、経済情報などの即時性のある記事もなかったとかで、朝日とか毎日系とか両方載ってんだよな多分…。 特徴は上の俳人とか短歌系の記事なのかなとも思わないでもないんですが、それにしたところで子規さんの「ホトトギスは売れるが日本は売れない」みたいな愚痴が残ってしまったようで、まあうん、新聞で明治後期で6千部って心許ないかな…。 個人事業所で出してる雑誌がその半分か、切ないな。 そういやWiki辞書の『国民新聞』に子規さんの弟子の高浜虚子さんが担当した欄のおかげで新聞が隆盛とか、言われてたな切ないな…。 明治39年に陸さんの病気により、立憲政友会の政党新聞になったようで、大正3年には火事にて一旦倒産、MAXが日清戦争で2万部くらいか、てか、後継新聞や週刊誌があるようで、あー、超国家主義のあれか…、だいぶ変転激しいな。 都新聞。2月19日。 そういやこの新聞社、徳田秋声の「縮図」で出て来たり尾崎士郎の「人間劇場」が掲載されていたということでどういう新聞なのかって調べようとしたこともありましたっけ、どうも日本最初の夕刊新聞らしく明治17年に『今日新聞』として立ち上げられたってありますがどうもこれ、資本関係から見て東京日日由縁ぽいね。 いや初代主筆が仮名垣魯文だったり、福地桜痴や彼関係の名前が見えるからね。 確かこれははっきりと東京日日系だった警察新報のことも吸収してたんじゃなかったかな、えーと、あった、社屋は同じだが号は継いでいない、了解了解。 多分これ、いくつかあった小新聞系の人材を集めるために作られた、直接は資本関係がない新聞社なんでしょうね。 あ、夕刊新聞ってのもあれです、娯楽系がメイン(なんというか情報が短期間で変動しないものを主に扱うのでどうしても報道じゃなくて娯楽や芸能寄りになるらしく、当時の流通や技術的な理由でしょうねこの辺)。 明治21年に『みやこ新聞』、翌年に表記を『都新聞』にして黒岩涙香さんなんかもお迎えして一時躍進したものの社長と衝突して退社(で、彼は『萬朝報』立ち上げ)。 日日系の社長と涙香さんだとなんとなくぶつかる理由はわからんでもないな、日日は唯一の御用新聞って呼ばれてた時期もあるし、大衆新聞はかなり自由主義ぽかったし。 で、だいたい『読売新聞』と近い芸能寄り新聞になったのかな、てか、演劇に強いのって大阪毎日系の人の由来っぽいなぁ、結構あとまでつながってんのね…。 上に挙げた小説とあと中里介山の「大菩薩峠」なんかもありますね、硬派記者が小説書けんの? って言われてたのはちょっと記憶にあるな。 報知新聞。2月20日。 明治5年創刊の近代新聞の最初期の時期で、この時点だとまだ政府主導の新聞がぽちぽちあった頃じゃないかな(御用新聞じゃなくて要請によって立てられた新聞社)、新聞がなかなか広まらないので郵便制度を利用して無料で配達されることを前提に作られていてその中心人物が前島密なのでまあガチな話。 てか、郵便局の父だけなんか知名度高いよなー(風水好きで郵便局を立てる時にちょっとずつ取り込んでいたんだってさ、なんか変なところにあるとは思うことあるな)。 漢学者だった旧幕臣の栗本鋤雲が初期の主筆、明治三大文士じゃん、てか、矢野龍渓って初期からいたのか…、この人が明治14年に大隈重信に買収を願い出てたんだよね…。 ただ、初期から民権運動家がいたなら大きく方針転換したわけでもないのか。 ここから元になった錦絵新聞があったってことはかなり柔軟かも(大新聞の記事を錦絵を添えて書き直したもので庶民向け、小新聞より早かったと思う)。 Wiki辞書には「明治末から大正にかけて」一番売れた新聞ってあるんだけど、時期が微妙なんだよなぁ、朝日新聞と毎日-日日とが台頭するまでは可能性がないでもないんだけど、関東大震災の時に一時的に朝日新聞の発行数を超えたことが自慢みたいな自虐の極みを見ているので…最悪その時点の話が曲解された可能性が皆無でもなく…。 あとあれ、羽仁もと子さんがいたのね、日本初の女性記者にしてのちに『婦人之友』を夫婦で立ち上げた人だ、やっぱりほどほどに柔軟だな? 上の自虐ネタとそれを本当に勘違いして日本一って書いていた人のせいで評価が微妙だったんですが、五大新聞の一つだし、まあ目立つ特色はなくても悪いものでもなかったのかな、しかし、柔軟なのはいいんだけどなんとなくばらばらだな…。 (雑学:近代有力め新聞社10社、181) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/190.html
雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 国民之友。4月1日。 明治20年創刊、て、『国民新聞』よりも3年も早いのか(明治23年なので)、国民新聞に関して書いてる時に気付くべきだったかと思うんですが、これ、言論団体である民友社の雑誌なのね。 日本で初めての総合雑誌、まあともかく、小説と政治論文とが一緒に載っている雑誌、だそうです、なんか文学史の本とかで存在ごと触れられてないけど…。 ただ、この雑誌において森鴎外の『舞姫』以下ドイツ3部作に対しての批判が行われたということなので、中身に関してだけは聞いてるな…。 あ、あれです、主人公どうなんだよみたいなの、石橋忍月さん、のちに弁護士になったんじゃなかったっけ、そして日本で初めての評論だとかで、触れられてるのに雑誌に関してはスルーなのか、なんか偏ってるなぁ文学関係の本…。 とはいえ、同時代の作家総覧という調子で載っているようなので、柳田泉氏の研究を読めばちゃんと載ってるだろうからまあそれ読めばいいか(明治専門の文学学者さん)。 時々聞いていた徳富蘇峰の「変節」ってあれ、日清戦争の時に主戦論に鞍替えし、そのまま体制寄りになったってことなのか、で、『国民之友』に不買運動が仕掛けられまして売り上げが急落、国民新聞に吸収させることで凌いだとか、それが明治31年。 蘆花さんに新聞小説書かせてたのも多分この時期だろうね。 とはいえ、日露戦争の時点で自分たちが一流国になったのだ、という意識が一般に広まったはずなので、その頃にはあんまり関係なかったかも。 今度民友社に関してのほうを調べたほうがいいかもなぁ、そういやちくまの明治文学全集には確か民友社の巻が存在してたよな、雑誌に多かったという翻訳作品かな? 太陽。4月2日。 なんでも明治27年の12月に「太陽発刊の主意」という欧米社会に負けない総合雑誌を作るよー、という趣旨の発言がされており(概念としてはあったんじゃなかろうか、あんまり捻った呼び方でもないしこれ、自然発生しそう)、翌月明治28年1月かな、『太陽』が発刊されたんだとか。 1月狙いの雑誌って多いってそういやどこかで聞いたことあるな。 で、この時に『日本商業雑誌』『日本大家論集』『日本農業雑誌』『日本之法律』『婦女雑誌』を太陽に集約したそうです、なんとなく内容の想像が付くなぁ…。 あとなんか『文芸倶楽部』と『少年世界』も同系統の雑誌を集めているんだけど、あれですね、これ、日清戦争の頃なのか…。 日露戦争の時点で10万部越えとか20万部とか言ってたのもここだよね。 (両戦争の時期には雑誌の需要がいろんな要因で伸びてるんだよね、大雑把に言うと徴兵令が始まり、一般人の家庭に戦争が関係するようになり、戦争に関しての事情を知りたいという人たちの層が自然に飛躍的に増えたってのが大きかったのかな。) (日清の頃は確か一流国としての自負によって知識欲が増大って時期かな。) 主幹としてある程度名前知ってるのは高山樗牛、長谷川天渓、平林初之輔かな、最後の人がなんか謎だったんですが、プロ文に走ったせいだとかで、昭和2年から昭和3年の時期までで、まあ、そこで廃刊しています。 最後の博打かな…、オウンゴールは言い過ぎかしら。 いわゆる教養主義の時代の後の人たちがほとんどいないものの、それ以前の作家や文士はほとんど参加してる感じだな、大正に乗り遅れた雑誌かぁ。 中央公論。4月3日。 えーと、西本願寺(地味に東西があるよここ、争ってはない、なんというか競ってる)系の機関誌として出発、もとが『反省会雑誌』にて東京進出で『反省雑誌』か、さすがに機関誌ど真ん中の名前過ぎたのかもねー。 創刊が明治19年、東京進出が明治25年、で、明治32年に『中央公論』と改名してそのあとに小説を載せるようになったんですが。 大雑把にまず西本願寺との資本関係が切れ、その時点で西本願寺系の論客に逃げられ部数が激減し、その時点で学生だった滝田樗陰の勧めもあって小説を載せるようになったようです、なんで学生と言い切るかというと漱石山房のほうに帝大生の帽子被った樗陰さんが通ってるところが描写されてるからです。 夏目漱石の扱いが違うわけだよ、扱いが違うわけだよ、苦学生じゃん!! なので主導してたのは別の人だったりもするんだけど彼も彼でなんか曖昧に済んだので樗陰さんが主導したみたいな話になっているようですね…、微妙だなぁ。 ただ、Wiki辞書に載っている『改造』の登場以来、急進的な立場との棲み分けのためにか中道的になったってのは聞いたことなかったな、載ってる本読みたいかも、これは小説特集号などが作られてる時期が確か近かったんじゃないかと思うので気になる。 それとあと、大正デモクラシーと結び付けて語られていることが多いですね、代表的なのが吉野作造さん辺り、というより大正デモクラシーと結び付けて語られてる雑誌ってほとんど数年で消えちゃってるからなぁプラトン社とか。 悪い意味でもなく、ほどほどに流行を汲んでるんじゃないかなぁ、教養主義との結びつきに関してもなんか本があったら読みたいですね、菊池とか芥川とか。 講談倶楽部。4月4日。 明治44年に創刊、昭和36年に廃刊、司馬遼太郎さんここの懸賞小説出身なのかな、にゃ、懸賞小説からの作家業とは限らないですけどね、受賞者の中にはいますね。 講談ってのは大雑把に『太平記』などの軍記ものに始まりまして、寄席で語られることが多い歴史ネタのものを指すようです、寄席の演目ってなんか曖昧なんだよね、落語の一系統だって解説してる人もいますし、三遊亭円朝さんの「牡丹灯籠」などを講談として認識していることもあるようですね、ご当人が有名な落語家なので落語って呼ばれてることもあるし、まあ、そこも曖昧なのかしらね。 円朝さんの本は二葉亭四迷などの現代文においても参考にされたとかで、当時はなかなかの人気ではありました(円朝さんのタネ元がどうもフランス由来らしいとか)。 それと当時『文芸倶楽部』っていう博文館の雑誌がありまして、ここが時々講談や浪曲の特集号を出していて、なかなかの売れ行きだったとか。 単独の雑誌がないよん、てことで野間清治さんのところに話が持ち込まれたのだとか、て、把握してなかったけど国民新聞の人らだったのか(蘇峰さんの新聞ね)。 野間さんは当時『雄弁』という帝大関係者メインを執筆者にしたお堅い雑誌をやってまして、これが大日本雄弁会、んで続いて『講談倶楽部』という、いまいちよくわからない展開ですが、気にしなくてもいいのかな。 当時は講談を扱うと低く見られるので別の講談社という会社を立ち上げ、編集者さんたち(雑誌関係なく行き来するスタイル)はあまり講談社の名刺を出したがらなかったとか…、なかなかの階級社会だよなぁ。 しまいにゃ講談師とも縁を切っての新講談立ち上げ、おう頑張れ…。 主婦之友。4月5日。 えーと、180万部が確か戦前最高部数なんだけど、163万部、しかも「付録十年戦争」の間か、なるほど確かに文学の歴史にはあんまり関係ないな、講談社との間に繰り広げられたそうなので多分あれ『婦人倶楽部』とどんぱちやってたんでしょうね。 (講談社の『キング』が150万部なので越えとる。) あれ、主婦之友とキング以外に部数そんな大きいところあったのかなぁ? 私の記憶違いだったのかしら、まあいいや。 えーと、大正4年に「東京家政研究会」というものが立ち上げられてその2年後の大正6年に創刊、婦人雑誌のだいたい代表格ですね、ざっくりランキング1位とも言うけど(婦人倶楽部は頑張ってる)。 掲載小説は、お、昭和7年から1年ほどの牧逸馬とその2年後の小島政二郎とかいるなー、あとは戦後なのでちょっと置いておいて、この前後では発行部数10万部ってところなのか、どちらもそこそこ人気はあるけど部数はそのくらいか。 あと、戦時中に戦争特集を多く組んでいたとのことなんですが、それはごく普通のことなので戦犯として追及されたりはしないものなんですが…(政治を動かすようなメディアの動きはアウト)、戦争中に敵を罵っても別にさぁ…戦地にいる兵士特集からの自然な移行だろとしか。 が、国内ではだいぶそっち寄りの厳罰意見があったとは聞いていて、主婦之友も戦時中の雑誌を証拠隠滅したのではないかと研究者に推測されているとか。 まあ当時はともかく、現代の研究者はもうちょっと、もうちょっとな、公職追放は「重役全員」が受けました、文藝春秋とか金庫番まで食らってたよ経理だよな!! 改造。4月6日。 大正8年刊行で、同じ年に創立した「総合雑誌」が3種ということは早い段階で聞いていたものの、米騒動がその前年の大正7年、そのさらに前年にロシア革命が存在していて、第一次世界大戦が終わったのも大正7年な辺りに理由があるのかしらね、やっぱり。 まあ刊行時に作家たちを集めてパーティーをしようとして「生意気」って菊池寛に言われて友人の芥川龍之介に「なら行かない」みたいに返されたというエピソードをたまに出版社関係で見掛けるんですが(恐ろしいことに前後に解説がない)、おかげで若手世代が広津和郎くらいしか行かなかったんだよね、と滑らかに続けられてもさっぱり意味がわからないんですが…。 最初の何年間か非常に辛い思いをして作家を集めていたってのも、たまに見ます、上の事情とセットなのかどうかはばらばらに見るのでなんとも…。 それと同じくらいか、もっとよく見るのが賀川豊彦という宗教家の方の「死線を越えて」の特大ヒットで、おかげですっかり会社を立て直しました、やばかったー、みたいなことは戦後の文学の「正史」とも呼ばれた水島治男さんの本にもありました。 が、どうもこれはよく純文学作家の手柄だと主張されがちな案件のようで、残念ながらWiki辞書の内容は最初から最後までそのトーンだったようなので、開いてしばらく途方に暮れました、正直、出版関係の本でしばしば第三者が『改造』に関して触れてるのか謎ではあったんですが、関係者自称の歴史が傍目から見たものと全く違ってたら、それは言及しておきたくもなるか、よく見るからなぁ…。 てか、アインシュタイン呼んだことは書いてあるのにホイットマン呼んだこともない(癖強い詩人さん)、占有率高いプロ文もないな…、社長の再評価遠そうね…。 新青年。4月7日。 んー、大正9年の創刊で、廃刊ではなく出版社(博文館)がなくなってしまったため? 出版業を止めてしまったのかな、まあそれと共に閉じたようで、後継雑誌みたいなものが存在するようですね(『宝石』だっけ)。 そもそも日本の探偵小説ってのはもともと翻案がメイン、日本人の当時の好みに合わせてほとんどが冒険ものだったようなんですが、だんだん飽きられまして、翻訳をメインにやっていたのがこの『新青年』だよね。 で、そこに持ち込まれたのが江戸川乱歩、そしてそこから延々と乱歩氏のみが雑誌名よりも大きく広告に載るみたいななんとなく捩れた状態が始まったわけだよな。 正直よく見るんでそれ。 あ、新青年の広告だったのかもちょっと記憶が、名前ばーん、タイトルどーん、で他の文字があんまり目に入らないんですよね、まあちょっと…。 そもそも『冒険世界』を改編したのが始まりであり、その後も小説雑誌ですらなかった、と言われるのもちゃんと書いてあっていいですね、Wiki辞書のページ。 あくまで雑誌内の事情を越えていないものの、他の事情を知っていると、あー、なるほど冒険小説メインだったしなぁ、とか、小説掲載数がそんなに多くはなかったのかもしれないな、と納得するからね。 他で乱歩さんの参加した「大衆文学系」の同人誌が爆死したのも見ているので、やっぱり一人の力では限界もあるよね…。 戦時中は科学小説や歴史小説のほうに行っちゃってるのか、チャンバラも不可のはずなので歴史ものってことかな、新青年は特に検閲対象でもないしまあいけるかな…。 文藝春秋。4月8日。 『中央公論』を越えてシンプルな記事でした、いや私は困らないけど「人権侵害について」と労働団体に関してのみが文章ある感じであとはほとんどぺらっとデータが並んでる感じですね! とりあえず作った時点で同人誌、作ったのは大正12年、関東大震災で印刷所その他が被災し、「5万円でどうか」みたいな買収計画もあったようですが(まだ一桁しか出してないので、さすがに菊池寛目当てだったんじゃないかと思うけど、あ、プラトン社です、あの化粧品会社がパトロンでほとんど直営みたいなとこ)。 まあまあ跳ね除けて自力でやってくって時に確か芥川龍之介も説得に参加してたとか、大阪行きを検討していたので直木三十五(当時は名前違うけど)を大阪に先に送ったらなんか戻って来なかったとかのエピソードもありますね。 大正13年から14年くらいにはどうも広告を打つこととその結果にめちゃくちゃに嵌まってしまい、「作品書いてないよね?!」と芥川を泣かせたとかいう逸話もあります、時期がこれなんだよ、横光利一氏の専門研究者さんがなんでか時期を特定してたので他の情報を突き合せたらわかりました、なんで彼が時期を特定してたのかは知らん。 昭和に入りなにを考えているのか総合雑誌化(政治を扱う権利取得)、ビルが建ってますが会社のビルじゃないのかなあれ、社長の資産大したことない発言が。 芥川賞は日本の権威に(そして直木賞はそのおまけのように)なってますが、ポケットマネーで作った賞なので「旧友ぽい作品を選ぶ」って言ってるご当人の意思を尊重してあげて欲しいんですが、なぜか菊池寛無関係説とか読まされたこともあります。 だいぶ神経が太い雑誌だなと、たまに思う…、権威スルーだけは統一なんだよな…。 キング。4月9日。 大正14年発刊、えーと、「円本」は大正15年からですが(改造社ね)、まあ要するに大量印刷薄利多売時代みたいな象徴だよね、なんでも小学校卒の息子が文字の読めない母親に読んで聞かせるような雑誌だったようで。 いいんだよ、「大学生がキングだけを読んでいる」ことを馬鹿にするのは。 なんで『キング』を馬鹿にするんだよなんか了見が違うんじゃないか?! としか言い様がないんだよな、当時の人ならまだ仕方ないんですが、現代人にまでいるとさすがになんか…どうなのとしか、鵜呑み大王かよ…。 ただ、大変に頼もしいながらこの辺の指摘をしてくれていたのは「岩波書店百年」の中で行われていたのでさすがエリート、戦前は残念なことになったけども(岩波社長が普通に見下し発言残してた)、戦後は信頼に値するー!! いやなによりなにより。 そして、キングはなにも思考停止のための雑誌ではない、どれだけレベルが低かろうが成長するための雑誌であり、中学校の教師を読者層の主体としていた岩波書店とは実は遠くない隣の世界なのではないか、ということが語られており。 うん、プロ文の哲学者が正しくわかりやすい科学の教え方とか悩んでいたのも多分この雑誌がきっかけだろうね、教え導かれるだけの大人しい農民って存在ではなくなったんだよね、キング以降。 まあ載ったところで自慢出来ない、まではわかるんだけどね…。 載ってた人が筆を折ったんだとか盛大に嘆くとかの展開があるので、こう、文学史って振るってるよなぁ、触れないだけとか幻覚なしでなんとかならんのか。 50万部スタート、150万部マックス、当時最高にして文学史は無視、豪快…。 新潮。4月10日。 今まで基本的に刊行順に並べてましたが、『新潮』は明治36年でぶっちゃけて昭和の頃には老舗って名乗っても許されるかと思うんですが、まあなんと申し上げるべきか新人作家が載ってても「別に」みたいな感じの人がいらっしゃる(私がメインなのが大正中期くらいなので、なんかこう、よくいる)というか、大正末くらいからかな、純文学の牙城みたいな扱いになって以降というイメージでこの位置にしました。 他のが死に絶えたっていうか。 ところで新潮社って重役に家庭小説家とかいるせいなのか(二人くらいお見掛けした)、なんか謎の出版社的な、やたらとその辺をぼかす書き方になっており、社長の本を読んだところ社会的に認められていた立派な業績を無視し、聞いたことがないような業績を盛んに誇示し、有島武郎との出版権利との揉め事に関しても「相手は友人に押し切られただけで全く本気ではなかった」的なことが語られており。 他の本で扱いの酷い代表格(島田清次郎が同時代、で新潮酷い扱いその1)として語られていたのを先に読んでいたので正直悲鳴を上げました。 これを聞いたあとだと大学生に対して当たりが強かった程度の話は小粒かな! とはいえ、編集者がわりと強い権限を持つところで、ちょくちょく雑誌の穴埋めをする必要がある関係上たくさんの「通俗作家」たちを生むみたいな雑誌で、そんなにトータルで悪い印象でもないんですが、ここに純文学の牙城とか名乗られるとさすがに違和感が、初期から重役(家庭小説作家)が会社支えてたけどさぁ! としか。 有り体に支えて貰ったおかげで老舗的な雰囲気になれましたありがとう的なまとめがいつか出るでしょうか、どいつもこいつも現実直視しよ? (雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/213.html
文芸:文アル登場作家、その3。209 徳田秋声。11月17日。 ええと、明治4年生まれで旧暦だと12月23日、にゃ、一応文アルのゲーム基準にすると新暦換算になってるぽいんですが、気分です、新暦への切り替えは明治5年から6年に掛けてって表現するのがわかりやすいかな。 てか、加賀藩家老の家臣の家ってどの程度の家なんだろう。 ぶっちゃけて一番下には半武士みたいな農民に近い層がいて、有り体に申し上げるとそっちに近いほうがよっぽど裕福です、マジで、だが家老なんかの家は藩主と行動していたりするのでまたちょっと雰囲気違うみたいだけど。 かなり貧乏そうなので上級藩士かなぁ…(もともと藩で役職に付く訓練しかされていなかったところにその藩のほうが蒸発しちゃったって捉えるとわかりやすいかも)。 あの、Wiki辞書の彼のページ、めちゃくちゃ長かったんですが、作品タイトルを並べたところが一番長いみたいです、とりあえず、「さすがにど新人並みの金額で原稿書かせるのは問題なのかも…」と編集者に言われていたとは思えないような重厚な内容で…。 あとあの、荒れ放題の家で娘さんはまともに嫁に行けるんだろうかということが広く業界の心配事であり、若手トップの横光利一の弟子と結婚した時点で大勝利! とか…。 なんだろうね、業界の名物おじさんみたいなものだったのかな、とりあえず彼の自宅は博文館という当時の有力出版社は歩いて行けそうな距離で、ついでにプチ文士村と呼ばれていた菊富士ホテルも近かったです(作家に下宿割引とかしてた)。 尾崎紅葉門下の四天王最弱スタート、家庭小説で生き延び、自然主義に数えられ、ひよひよと低空飛行をして軍部には確かに空気読めない感を炸裂させてました、後輩作家の生活の面倒は見てたみたいです、なんかそれはわかる…。 島崎藤村。11月18日。 明治5年生まれ、旧暦で2月17日生まれ(新暦だと徳田秋声と同い年、旧暦だと一年違いか、ここら辺作家の生年がが団子状態なんでどっちで書かれてることもあるみたいね)、で、んーと、郷士身分で本陣、庄屋、問屋ってあるので名主なんかと近い身分だよねすみませんこの辺実例でしか知らないのであやふやなんだけど。 大雑把に最下層武士みたいな感じですが、農民トップクラスみたいな。 上級武士よかずっと裕福です、なんか、変な人多いけどね…武士にはああいう家系ってあんまりいないんだけど、どうも血が濃いみたいです、ああ、なるほど本陣…(横溝正史的なあの)。 ところでお兄さんの一人が半分犯罪者って言われていたので何事かと思っていたら大陸に渡って商売を起こしてました、そんな、扱いなんだねこの時代!!(否定しない) 自然主義で重く扱われてるっていうと島崎藤村か正宗白鳥って感じで、作家としてならこの藤村氏みたいですね圧倒的に、『夜明け前』という晩年近い頃の作品など特に関係のない編集者を読んでいても編集者ネットワークで「新作着工!」みたいな伝令が流れており、これは重鎮…、と深く納得しました。 まあ、ごってごて盛りの文章でこの作風でこの文体! 耐えられない!! みたいなことを言われていた側にどちらかというと加担するのですが、ものすごく無茶苦茶これでなきゃならないみたいな人にもわりと理解出来るものはあります。 私の主観ですと「イラストで見たい描き込み多すぎて落ち着かない漫画」みたいな感じです、詩人って知らなくても言われた途端に納得したと思う。 血の狂気に創作で抗った人という中村武羅夫の表現が一番好きだな、人生お疲れ様。 岩野泡鳴。11月19日。 んーと、明治6年生まれで1月20日、素晴らしいですね、新暦始まってすぐじゃん、これ以降は新暦表示しかないわけだ、何年に亡くなったか知りませんでしたが大正9年に死去か、思ったより早かったな、享年47歳ですね。 あ、享年は書いたり書かなかったりします、というか、この人が芥川に絡んでいって芥川にお前が売れてるって聞いてるけど大したことがないだろう! とマウント取ったら芥川のほうが多く、あのでも、僕より上が、と言われ、「世の中のやつらはわかってないからな」的に返したという逸話があるらしいんですが。 何故かこの逸話から漂う清涼感が好きです。 なんだろう、芥川を見下ろしているのに適当なことを言ってるのに嫌な感じしない。 てか多分、パクられて裁判やってた頃ですよね、芥川と会ったの。 だいぶ劇的に部数が跳ね上がってたぽいからなぁ、業界人…。 で、もうちょっとその恩恵を受けられたのかなと思っていたんですが、どうも大正8年前後から始まりました総合雑誌ブームから始まりましたため、うん、そんなに長い春じゃなかったのかな…。 あと男女で女に浮気を訴えられて離婚てことになった時、日本の男って普通女を責めるじゃないですか、今よりずっとその傾向が強いはずにも関わらず、裁判所まで含めて全てが嫁の味方をしたエピソードもなんか好きです、なにもかもが正直だからかな…。 詩人出身の自然主義作家、正直お世辞にも良識はないんだけども、周囲の人が普通に抵抗してて実害がなさそうだし、なぜか女性運動家のとこにもいる。少しわかる。 作品もそんな感じぽいですたまに褒められてる、嫌味が、下手なんだろうな…。 河東碧梧桐。11月20日。 かわとうへきとうご、じゃないよ「へきごとう」だよ! 記憶はないですが多分前から間違えていて何度か訂正してるはずなんだよ、たまにあるよね!! 明治6年2月26日生まれ、昭和12年没で63歳。 Wiki辞書のページを眺めているのですが、明治35年に新聞『日本』を亡くなった子規さんから受け継いだあとは新傾向俳句に走り、明治39年から明治44年に掛けて全国行脚を行う。 で、昭和8年に引退、昭和12年に身体を壊してそのまま死去、みたいな感じに、私が略してるだけじゃなくてこの内容の詳細しか書いてないですね。 ところで私、藩校の教授の息子さんっていう身分の方初めて見ました、新聞記者も含めて文士では見たことないってなんか不思議、全国に結構な人数がいたろうに…、それともこの家の方たちはわりと素直に教育の道に行ったりしてたのかな。 明治に入っての数少ない知的エリートなので、まあなんらかの地位には着いてると思うけどねー、明治政府人いないし、どの分野にいるんだろ。 あとあれ、子規さん関係の本を読んでいると海軍中将である秋山真之か文学関係者か大抵片方しか語られていないんですが、初めて両方書いてある文章を見ました、にゃ、純粋に碧さんも普通に先輩付き合いしてたみたいですね、つか子規さんよか出会い先か。 虚子さんとは中学校の同級生で、野球を通じて子規さんと知り合い、虚子さんを誘って俳句を習うことにしたってことかな。 この時点でまだ虚子さんは高等中学生なので(のちの高等学校)まあ子規さんはアマチュア文学青年みたいですね、一番弟子ズなわけだな、自然だわ。 泉鏡花。11月21日。 明治6年11月4日生まれ、昭和14年没で享年65歳。 そういや映画で鏡花ブームが起こったって聞いたことがあるんですが、時期がこれだと当人が知ってたのか知らなかったのか正直わからんな…、なんか自然発生のブームだったぽくて流れでしか知らないんですよね、あんまり離れてはなさそうだけど、また微妙にどっちが先かわからない。 まあ、遺族のほうが頼みやすいくらいはあったかもしれんけど、死後もある程度続いてることは間違えなさそうなので。 それと新派関係の本を読んでるとちょくちょく出てくるので、舞台化は定期的にしてたぽいですね、いや、その本ではあくまでも新進気鋭の演劇関係者を触れてるだけなのに鏡花がずらっと並んでたので(あと逍遥さんとか)。 もうちょっと地味なところだともっとたくさんあったんじゃないかな。 で、「自然主義と対立していたのかどうか」ということだと、『新小説』の自然主義撲滅運動とかやってた編集長と友人関係で、作家で普通に参加していたのは鏡花だけです(あと赤門の三流文士ども☆)、みたいなことがぺろっと語られていたので別に疑っていなかったんですが。 懇切丁寧にそう言われていたがデマなのだということを解説している人もいたりしたのでまあなんだ、いろんな人がいますよね。 多分あれ、悪気とかじゃなくて新小説が「それ」以降、急激に存在しているかどうかわからなくなるので時期を絞らないと読めないせいじゃないかと思います。 紅葉門下時点で川上音二郎に無断使用されてるしな、舞台化はガチ常連。 高浜虚子。11月22日。 明治7年2月22日生まれ、昭和34年没なので(享年85歳)、戦後14年後まで生きてたのか、戦時中に名前を見た覚えがなかったんですが「日本文学報国会」の俳句部長…ああ、これは「日本俳句作家協会」という昭和15年に出来た会が翌年には改編されていたということのようなので、合体してたのね。 だったら単純に見落とされただけで表に出てる勢との話し合いもあったかもね。 (むしろ「表に出ていない」菊池寛て可能性もあるけど、彼は立ち上げ時点で主導しているのに当人は役職をパスしてる、若手なんかは書き残してるね。) Wiki辞書のページは悪い内容でもないかと思うんですが、なんだろう、私、新聞のコーナーや雑誌を担当すると人気が出るって認識していたんですよね、虚子さん。 見事にそこだけが穴あけになったみたいな内容なんですよ。 こう、そこが低く見られる原因みたいなところはあったんですが、なんだろう、人気を求めるあまり低俗になるとかそういう理由でないなら人気そのものを省いて語らないほうがいいような気がするんですけどね。 というか、私はそこの人気の理由(雑誌の歴史見ててもものすごく露骨に彼が担当した途端に部数が上がり、去ると落ち目になってる)の分析して欲しいんですけどね、にゃ、知名度って意味ではさすがに子規さんのが上だろ、子規さんは当時から普通に俳句リーダーとして与謝野さんクラスの知名度だろう。 あとあれ、『ホトトギス』は漱石さんの「吾輩は猫である」を掲載していたことで知られているんですが、その前後から小説に熱中しており迷走、俳句に根本を戻したとか、漱石門下の人材を国民新聞で受け入れたとか気になるんだけどなぁ。 有島武郎。11月23日。 明治11年3月4日生まれ、大正12年に死没、享年45歳。 ゴシップに関しては「心中相手とは恋愛関係などではなかった」と熱心に語る人を見たことがあり、どうも重厚な作品で知られるってイメージのようですが。 ぶっちゃけまして新潮の社長の扱いがいささか。 島田清次郎と似たような扱いをしていたのではないかと本で見たことがあったんですが(同時期に売り出したい若手作家がいたため、前座として使い潰したというか)、確かにいろいろ見てると違和感はないな、という印象。 そもそも国木田独歩の逃げた元妻の作品で名前が売れてるからなぁ…。 (この案件、若者には受けがいいんだけど年配男性の扱いが最悪なんだよね…、身分高い女にする態度ではないよな…。) そういう意味で正直苦手だったんですが、どうもこれ、彼女の立場を借りて自分のことを書いているということで評価は固まっているようです。 最初に見た時はこれもびっくりしたけどね、マニアックだな! で、さらに「白樺の時代」もどうもこの有島さんの一般人気を指すらしく(大正8年くらい、新思潮の零落ということが一部で語られていた時期のようです)。 煤煙(漱石門下の人の実録心中小説)や新思潮の三角関係関連作品なんかの系譜として捉えられたのではないかな、と思ってるんだけどどうだろう。 いや、とにかく重厚なイメージみたいで、ちゃんと語られてなくて…。 『種蒔く人』を媒介にしたプロ文との関係も中間作家(創作ありの自伝風)との絡みも込みで語ってて欲しいんだよな、あちこちに説が散らばっててね…。 正宗白鳥。11月24日。 明治12年3月3日生まれ、昭和37年死没、享年83歳。 んーと、網元の家の人みたいですね、初めて見たな、だいたい本陣とか名主なんかと同じ括りで捉えてるんだけど別に自信はないです(近代の建築物なんか見てるとこの層が多い)、まあ田舎にいた完全識字者ってやつではあるよね。 デビューが明治37年だから自然主義の台頭よりちょっと前かな、その後、『読売新聞』の記者として働き、明治41年に作家に専念するために退社、と。 読売新聞だとあれですね、硯友社と袂を別っているので自然主義寄りの新聞って認識で良かったはず、漱石さんにアプローチをするためにお使いに出されてたりもしますね。 (対面した漱石さんによると小説は認めてなかったぽいよ、白鳥さん。) あとあれ、作品評論すっごく上手いです。 ただ、本にまとめられてしばらく時間が経っていたりすると立場がころっころ変わるのでどれが本音なのかさっぱりわからず。 ついでに作家論を語ってくれてるんですが、とりあえずきちんとした経歴を把握したあとで推理を展開されたほうがいいような気もします。 トルストイの真実を暴露みたいなのも、天から降りて来た内容ぽくて…なんとも、作品論はある意味で流されやすいほうが上手いのかもなぁ、とちょっと思わないでもなかったな。 『中央公論』の編集者の本を読んでいた時に大正後期くらいの戯曲ブームの頃に「白鳥氏が戯曲に興味を持ちました!!」みたいなことが編集者ネットワークで伝わって来ていたので、扱いは良かったんじゃないのかな。 作品は、語られているのを、一度見たことがあるくらいですかね…。 永井荷風。11月25日。 明治12年12月3日生まれ、面倒なので戦後まで生きておいでです、長生き組です、というか『東京人』とか下町の本とかでたまに出てくるよね、ファンとアンチとがばっきりと別れてまして、ファンは正直ネタがそこまでバリエーションがなく、評価がそう高くはないんですが、アンチが愚痴と非難だけでマイナーな土地のページをみっしりと埋めているので圧倒的にファンのほうがマシですね! ただ、なんというか、薄っぺらい下町趣味だなー、とは思いますね。 それと明治後期くらいを壮年で活躍時期にしている文化人を見ていると時々出てくるんですけどね、なんか、好みで勝手に改変紹介とかするらしいです、いつもはわりともごもごと怒られてることが多いんですが、「この方向性に盛るのはオッケー」みたいな感じで明確に改変部分が語られていたことがあり、有名だったんだろうな、としみじみ。 黙阿弥さんの本が一番辛辣だったんですが、歌舞伎舞台の辻褄を消して見栄の部分だけを残して改変するということが語られており…。 なんとも言えない読後感でした。 芥川の批判もスタンスのわりに軽薄みたいなこと言ってるよな、うん…(荷風さんの本以外で読んだことはないんだけど、荷風ファンはやはり良識がある)。 が、それが作品にとってマイナスかどうかは別の話だよな。 私は趣味ではないんですが、ファンの人たちが彼の中にある狂気めいた部分を踏まえた上で愛好してるなら立派に一芸よね。 ところで慶応講師時代に完全に政府の槍玉に上がってるんですが、それを「素行が悪い」で済ませる本が結構多くてちょっと、まともに読みたいなあれも…。 小川未明。11月26日。 明治15年4月7日生まれ、戦後16年くらい生きてますね長生き組。 てか、修験者の父親って初めて見ました、神道系の人ってことかな? 春日山神社を建てるために奔走したってこの時点で面白いな。 生粋の早稲田っ子ぽくて逍遥さんやら島村抱月などの授業を受けており、同級生に相馬御風さんがいるのか。 明治37年の時点で『新小説』に作品を発表してデビュー。 あー、ひょっとしてここから数年で自然主義が台頭していまいち目立たなくなるってことになるのか多分、とはいえ、早稲田文学社に属して編集者として働いていたようなので生活に困ることはなかったのかな、ちょっとこの辺は白鳥さんに似てる。 で、大正5年の「遊蕩文学撲滅論」の時点で漱石と小川未明だけは関係ないよねって言われてたらしいよ、あれも確か漱石門下の人がやったんだっけ。 この手の文学派閥の攻撃は正直評価が低いことが多いんですが、この案件に関してだけは「一理ある」って言われてるやつだよなぁ(だがその言いだしっぺの当人はその後さして鳴かず飛ばずぽいけど)。 そのあと大正14年に早大童話会の立ち上げメンバーになり、こっからはその会のページを見てるんですが、なんか政治傾向になってしまったので未明さんは攻撃されていたってことになるのか…、この会初めて見ました、農民文学に近いのかな?(社会派傾向のある作品群、未明さんがカウントされてることもある) 生活が苦しかったっての、短編ばかりだからってのもあるのかしら? 普通にお仕事は淡々とやってるぽいからなぁ、あくまで芸術論争ぽいし上の。 (文芸:文アル登場作家、その3。209) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/streetfighter5/pages/28.html
ラシードの基本的な攻略ページ。基礎データなど→「ラシード」戦術詳細、コンボ詳細、セットプレイ、キャラ別攻略など→「ラシード詳細攻略」 攻略記事GOZILINE「今夜勝ちたいラシード攻略」 必殺技/特殊技解説必殺技 クリティカルアーツ Vシステム 特殊技 必殺技/通常技詳細牽制技 当てにいく技(差し技) 対空技 ガード崩しに使う技 クラッシュカウンター めくり技 基本戦術強イーグルスパイク ワールウィンドショット 空中イーグルスパイク 立ち大K セットプレイ 連続技密着始動 近距離始動 高火力コンボ 必殺技/特殊技解説 必殺技 スピニング・ミキサー イーグル・スパイク 空中イーグル・スパイク ワールウインド・ショット スピニング・ミキサー(+Pまたはダッシュ中にP)回転からの風をまといながら行う突進技。連続ヒット技。弱~強で突進方向が変わり、命中時にP連打で性能が変化。VトリガーI「イウサール」発動中はさらに性能が変わるようになる。 弱:横に短く突進。ガードされても隙は少ないが密着状態に、ヒットしても相手はのぞけるだけで火力がかなり低い。P連打で相手が吹き飛ぶようになり、威力やヒット数もほぼ倍増。飛距離も僅かに伸びるが、突進中に僅かに浮く為、ガード後の隙が大きくなる。 中:斜め上に突進。ヒット時は吹き飛び、近距離ガード時は相手を飛び越える。範囲の広さから対空技より連続技向きP連打で飛距離延長、ヒット数や威力もほぼ倍増。 強:真上に突進。初段ヒット時は吸い込むように相手が吹き飛ぶが、ガード時は僅かに相手と距離が出来る。早出し対空として使えるが全段ヒットには引きつける必要がある。P連打で飛距離延長、威力やヒット数も倍増。こちらは一撃でも当たれば殆ど連続ヒットするようになる。ただし、ガード時や回避時の隙が大幅に増加するので注意。 ダッシュ中にP:ダッシュ版は弱~強は共通。EX版は存在しない。軌道は弱と同じだが、飛距離とヒット数が増加。P連打でさらに威力とヒット数が増加する。 EX:軌道は対空向きの斜め突進。無敵時間と被カウンター状態が追加。対空技としては優秀だが、落下後の隙が大きいので注意。P連打で威力とヒット数が増加。 VトリガーI「イウサール」:発動中の竜巻に触れながらスピニング・ミキサーを発動すると性能変化。弱~強とダッシュ中にPの性能は共通。P連打不要。画面端まで突進する技に変化。竜巻が先に命中すると相手が吹き飛ぶ為、突進が当たらない。遠距離で使うと連続ヒット数が微妙になる。正直扱いに困る性能に。 EXは画面端まで斜め上に飛んでいく。P連打不要。こちらは浮いた相手を巻き込む為、連続技として優秀。ただ、竜巻と距離があると通常のEX版が暴発する危険性がある。 イーグル・スパイク(+Kまたはダッシュ中にK)威力が高い横とび蹴り。ヒット時は相手を吹き飛ばしながら最後まで突進するが、ガード時は跳ね返りながらの着地するので隙は大きい。連続技やガードできない状態の相手に対しての奇襲に最適。発動中は空中に浮いている為、相手の下段攻撃などをかわして攻撃できる。VトリガーI「イウサール」、VトリガーII「アーシファ」発動中は性能がさらに変化する。 弱~強で速度と飛距離が大きく変化。弱は軽く飛ぶ程度だが、強は高速で画面端まで飛んでいく。また威力も上昇するが発動までの隙も増加する。 EXは威力が弱、発動の隙は中と同等、飛距離も画面端ぎりぎり届かない程度だが、突進速度がさらに上昇。また命中時は相手が空中に浮く為、追撃が可能になる。 ダッシュ中にK:ダッシュ版は弱~強は共通。EX版は存在しない。ほぼ強と同等の性能だが、威力はこちらが高い。 VトリガーI「イウサール」:発動中の竜巻にイーグル・スパイクが触れると性能変化。弱~強とダッシュ中にKの性能は共通。速度は強、威力上昇、ガード時は画面端まで素早く跳ね返る為、ほぼ反撃される危険性は少ない。触れるまでは性能は通常版と同じ性能。発生の早い弱なら至近距離で竜巻が命中してもそのまま連続技になりやすい。 EXはさらに上昇。ヒット時は垂直に吹き飛ぶが、ガード時はすり抜けながら画面端まで飛んで行くようになる。 VトリガーII「アーシファ」:ゲージ35消費。弱~強性能は共通。威力上昇。命中時に相手が大きく吹き飛ぶ。ガード時は相手を貫通して画面端まで飛ぶ。ダッシュ中にKも強化。さらに威力が上昇。EX版は通常EXと同じ性能だが、ゲージは消費する。 空中イーグル・スパイク(前ジャンプ中に+KまたはVスキル「フロントフリップ」発動中にK)空中から地上に突進キック。威力は高いが、しゃがみガード可能。VトリガーII「アーシファ」発動中は性能がさらに変化する。 通常版は発動にはある程度の高さが必要。威力は共通だが、弱~強で落下までの速度と落下角度が変化。命中時は軽く跳ね返る。ヒット時はダウンするが、ガード時は反撃される危険性がある。あえて外すか、相手の足元に当てることができれば反撃を受けづらい。 Vスキル版は早い段階から発動可能。威力や角度は通常版と同じだが、Vゲージが上昇する変わりにガード削りが少ない。 EX版はVの字に飛んでいく。落下中にガードされると通常版と同様の隙が生まれるが、上昇中はそのまますり抜けていく。威力が僅かしか増えず、Vスキル版はさらにガード削りが少ない。 VトリガーII「アーシファ」:ゲージ35消費。弱~強性能の性能は共通。威力は落ちるが、命中後もそのまま着地。ヒット時はさらに敵が浮く為、追撃が可能に。Vスキル版もほぼ変わらず。EX版は落下時のガード後にそのまま着地するようになる。 ワールウインド・ショット(+K)竜巻を飛ばす。水平から軌道上昇。VトリガーI「イウサール」発動中は使用が出来なくなり、II「アーシファ」発動中は性能が変わるようになる。 弱は単発技だが発生が速く、5分の3ほど進む。中は発動が遅く僅かに飛距離が縮むが2ヒット技になってスタン値が上昇。強は単発画面半分ぐらいまで上昇。発動までの隙がさらに増したが、キャンセルで全てのVスキルが発動できる。EXは軌道は中だが強と同様、Vスキルキャンセルが可能。威力やスタン値が増加。ただ、通常技からの連続技には不向き。II「アーシファ」発動中は機動は変わらないが、範囲拡大、ヒット数が増加。ただEX版以外は合計ダメージが同じ。 クリティカルアーツ アルタイル(+P) アルタイル発動中、自身が左右に移動出来る台風になる攻撃。命中すれば演習中により全てが命中。 縦に範囲が広いので早出し対空としても機能する。 Vシステム アサルトロール(中P+中K) アサルト・ネイル(アサルトロール中にK) イウサール(大P+大K) Vスキル「フロントフリップ」(中P+中K)前方ジャンプ。必殺技キャンセル可能な通常技や飛び道具のワールウィンド・ショットの強とEXからキャンセルで出せる。VトリガーI「イウサール」やVトリガーII「アーシファ」発動中は飛距離と機動力上昇。 空中イーグルスパイク(フロントフリップ中にK)派生技。空中でイーグルスパイクが出せる。性能は通常版とほぼ同性能。EX使用可能。低い位置から発動出来る変わりにガード削り値が低い。 Vスキル「アサルトロール」(下中P+中K)長い距離を前転する。こちらも必殺技キャンセル可能な通常技や飛び道具のワールウィンド・ショットの強とEXからキャンセルで出せる。 アサルト・ネイル(フロントフリップ中にK)派生技。前転中にキックが出せる。命中すれば相手は浮くが、画面端でないと連続技は厳しい。 VトリガーI「イウサール」(大P+大K)画面端までゆっくり進む竜巻を発生させる。竜巻に触れてる間はジャンプとダッシュ機動力が上昇。Vスキルや一部の必殺技も性能変化。ただし、ワールウインド・ショットが使えなくなる。 VトリガーII「アーシファ」(大P+大K)足を使う必殺技とVスキルが強化。 ハブーブ(アーシファ発動中に大P+大K)端までまっすぐ飛ぶ竜巻。ゲージ35%。威力が高く、相手が浮くので近距離なら追撃が可能。 Vリバーサル「スライド・ロール」(ガード中に前+PPP) 特殊技 フラップ・スピン(前中P) アサルト・ビーク(前大P) フラップ・スピン(前中P)二段技。ガードされると不利だが確定反撃はない。 アサルト・ビーク(前大P)中段技。 三角跳び(ジャンプ中に壁際で9または3)9で出すと斜め上方向に、3で出すと斜め下方向にジャンプする。 ターゲットコンボ (なし) 必殺技/通常技詳細 牽制技 しゃがみ大P しゃがみ中K しゃがみ大P中イーグルスパイクを仕込んでおくとしゃがみ大Pがヒットしたときに連続技になる。 しゃがみ中K弱イーグルスパイクを仕込んでおく。 当てにいく技(差し技) 立ち大K 弱スピニング・ミキサー イーグル・スパイク 立ち大K 弱スピニング・ミキサー イーグル・スパイク 対空技 強スピニング・ミキサー 連打しないと威力が低い。無敵時間がない為、早めに出す必要がある。 しゃがみ中P→中ワールウインド・ショット ワールウインド・ショットを着地に重ねることができる。 対空技を出すコツ ガード崩しに使う技 アサルト・ビーク アサルト・ビーク(前大P) 中段技。 クラッシュカウンター 立ち大K 立ち大P 立ち大K 立ち大P めくり技 ジャンプ中K 攻撃範囲が狭く、また地上強攻撃の発生が若干遅い為、連続技狙いなら低空で当てる必要がある。 基本戦術 強イーグルスパイク ガードされると反撃確定だが遠距離から出されると見切りにくく、動こうとしたところに当たる。 ラウンド中の早い段階でこれを出してプレッシャーを与えておく。 ワールウィンドショット 弱でも画面半分の距離しか横に飛ばないので牽制には少し使いづらい。ジャンプの届かない距離で弱で出し、相手が見てからジャンプで飛び越える読んだら強で出す。強のウィンドショットは竜巻を出すときに二種類のVスキルでキャンセルできる。強ウィンドショット>下Vスキル(前転)は相手にウィンドショットをガードさせるとラシードが密着でかなり有利。相手が強ウィンドショットの隙にジャンプ攻撃をしようとしても前転でかわせて位置を変えられる。 空中イーグルスパイク 通常版はガードされると危険だが、相手が通常技による対空を多用する場合はタイミングが外しやすく、威力の高い空中イーグルスパイクが有効。あえて届かない距離で通常技の空振りを誘う。そういう動きが出来ると思わせるだけでも有効。 立ち大K リーチもあり下段を避けるのでかなり強い。近~中距離はこれを軸に戦う。 これのプレッシャーがかかってる状態だとダッシュからの攻めも通りやすい。 セットプレイ 連続技 密着始動 しゃがみ小K→しゃがみ小P→弱スピニング・ミキサー弱スピニング・ミキサーは連打しないと合計威力が微妙。ただ、あえて連打せずそこから投げや連係を狙うのは有効。 近距離始動 【基本コンボ1】 立ち中P>しゃがみ中K>(ヒット確認)> >弱イーグルスパイク しゃがみ中K→弱イーグルスパイクのときに離し入力で中イーグルが出る場合があるので中Kは押しっぱなしにして小Kを押すといい。 【基本コンボ2】 ジャンプ強>しゃがみ大P>(ヒット確認)> >立ち中P>弱イーグルスパイク しゃがみ大Pが二段技なのでこれだけでもヒット確認が出来るが、攻撃発生が若干遅いので注意。 【基本コンボ3】 ジャンプ強>立ち大P>弱ワールウインド・ショット>アルタイル 簡単なアルタイル用コンボ。それでも、アルタイル入力時に前進しておかないと届かない場合もあるので注意。 高火力コンボ しゃがみ大P→立ち中P→EXイーグルスパイク→中スピニング・ミキサー画面端なら最後は大スピニング・ミキサーに変更する必要がある。 しゃがみ大P→立ち中P→イウサール(VトリガーⅠ)→フロントフリップ(Vスキル)→空中イーグルスパイク
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/5366.html
今日 - 合計 - 南国指令!!スパイvsスパイの攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 15時55分20秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/kuroduki/pages/39.html
このWIKIの各ページの説明をしていきます。 トップページ このWIKIのTOPです。重要な情報などを一番早く反映してたりもします メニュー 左に表示されてる一覧 サイト説明 このページです。それぞれのページの簡易説明をしています 掲示板の使い方 ウロボロスに存在する数多くの掲示板の説明と使い方について ウロIRCの使い方 ウロボロスの主要チャットシステムIRCの使い方について 行商人 キャンプ中に稀に出る行商人のまとめ情報 街施設案内 色々な街に存在する施設の紹介 市場の使い方 街にたまにある施設である市場の説明と他プレイヤーとのトレードの仕方について 合成の仕方 魔術大学での合成の仕方と仕様について 装備レベル早見表 ゲームでの装備品の装備可能レベル一覧表 職の成り方 各職の成り方についてとPT上限数について 特殊SA セット装備の内容と効果について 装備の組立て 有効な装備品の組み合わせについて 装備投稿ページ 有効な装備品の情報投稿ページ 各地域攻略 各地域の取得経験値・ゴールド情報ページ NPC町情報 NPC町の(施設・武具などの)情報ページ BOSS情報 各BOSSの居場所とHPの最大最小値について バーボンハウス キャンプに稀に出る謎のコマンドについて レア物トレードログ トレード掲示板の履歴 ウロ用語集 ウロボロスでのローカル用語集 ウロ仕様変更履歴 システム面での仕様変更履歴一覧 意見場所 サイトの間違いや新情報のタレコミやリンク申請などはこちらへどうぞ 更新履歴 このWIKIの更新履歴 リンク集 このWIKIのリンク集(随時ウロ関連の片道・相互リンク募集中です)
https://w.atwiki.jp/anketintrointro/pages/21.html
誰だろ? 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 アムロ・レイ 84 (61%) 2 キラ・ヤマト 28 (20%) 3 ウッソ・エヴィン 5 (4%) 4 パプテマス・シロッコ 4 (3%) 5 カイ・シデン 3 (2%) 6 ヒイロ・ユイ 3 (2%) 7 フォン・スパーク 3 (2%) 8 新世界 2 (1%) 9 まきひとwiki 1 (1%) 10 カズイ・バスカーク 1 (1%) 11 シャア・アズナブル 1 (1%) 12 シン・アスカ 1 (1%) 13 ドモン・カッシュ 1 (1%) その他 投票総数 137 ※同じ発信元からは、『86400秒(=一日)』間を置かないと投票出来ません。 ※『その他』から選択肢を追加 【トップページ】 ぬいた(ノ゚Д゚)ノシ$ http //e29.mobi/ -- (私だ) 2012-01-06 01 38 52 怖い -- (カテジナ ルース) 2013-01-03 22 16 14 カイ・シデンだろ -- (名無しさん) 2013-02-02 22 51 18 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/magamorg/pages/7566.html
アグラの熱風ウェザ・パイロット コモン 火 4 3000 フェザーノイド/エルドラード K・ソウル ■自分が手札を捨てる時、かわりにこのクリーチャーを破壊すれば、1枚も捨てなくてよい。 ■自分の「K・ソウル」クリーチャーはすべて、種族にエルドラードを追加する。 (F)うおおっ、俺、何かに目覚めちまいそうだぜ! ――アグラの熱風ウェザ・パイロット 作者:まじまん 「王金編 第3弾 栄光の終焉」収録予定の、10枚の先行公開カード。 収録 「王金編 第3弾 栄光の終焉(フィナーレ・オブ・エルドラード)」 評価 名前 コメント